家具7_桐タンス再生 ― 2012年03月20日
え〜ッ、お母さんの思い出が消えちゃった…
と、呆気にとられても後の祭り。
そうなんです、桐タンスの専門職に託すとだいたいそうなる。
染み込んだすべての思い出を捨て去って、真っ新になってしまう。
だけど、それで彼らを責めるのはお門違いかと思います。
彼らは、桐タンスの持つ本来の特性を忠実に実現させただけです。
そして,それを実行することが彼らのプライドです…たぶん。
桐という木そのものの性質はもちろんのこと、接着剤として使うニカワ、組立のための木釘、塗装のための蜜蝋と砥の粉等々…金具を除いてほぼすべてが桐タンス再生のための素材と技術です。
ここで金具を除いたのは、桐タンスの金具は,元々ブリキ板のような薄い金属板でできている場合が多く、一度外すと、固定用の爪が折れてしまい再利用ができなくなるためです。そのため、金具はほとんどの場合、新品に交換されるようです。
というわけで、彼らのすべての技は新品再生に向けられ,仕上げを新品金具が後押しする訳です。
さて、そうすると,桐タンスに染み込んだ味や思い出はどうなるんだ? ということになります。虫食いの跡やすり傷、手垢の跡だって思い出の一部です。たとえ錆びていても、時代を反映する金具のデザインに至っては重要な構成要素です。これらを生かした再生というのはないんでしょうか。
方法は二つ、自分でやるか、あるいは、桐たんすの技術を持たない家具職に依頼するか、です。そして、もうひとつ大事なこと、桐タンスのすばらしい特性をきっぱりとあきらめることです。要するに本来の桐タンスに戻す再再生はできないということ。
そうすれば方法はあります。
どうぞ,まず、ご自身の価値観がどこにあるかを確認した後、残す方法を考えてみてください。
写真/みずき工房流 桐タンスのリメイク
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母と娘のテーマ ― 2012年03月24日
幼き少女と若き母のいるところ
二人は何やらヒソヒソ話
少女はちょっぴりおとなになって
母は無邪気な少女になって
二人は何やらヒソヒソ話
おとうさん? ・・・お父さんはいいんだ
あっちでビールでも飲んでるから・・・
世の中に、おやじと息子云々をテーマにするはなんとも多い。とくにアウトドアのブーム以降だろうか、よく耳にする。
「木の家具」でもそんなことを時々感じる。テーマとして扱いやすいのだろうが、いかにも多すぎてもうつまらない。
それにひきかえ、デザイン全般を通して母と娘の関係がテーマにされることは極めて少ないように思う。
さて、なぜかは別問題として、確かに工房型木工のモノ作りでは作品が男性的、あるいは少年的な雰囲気になりやすい傾向があるのは確かだ。少なくとも中性よりは男性寄りである。
そんな中でこのテーマを選ぶには相当しっかりした観察力と発想力が必要になってくると思うが、どうも母と娘の関係というのは、おやじと息子の関係に比べかなり微妙のようで、男の私には相当難しい。雰囲気は何となくわかっても、どうしても掴みづらい部分がある。
家具を作るということに関していえば、何を作ればいいのかが読めない。
あまりにも肌と肌が密着しすぎていて、その間に滑り込ませる隙間がないような感じ、とでもいうか。モノを介する必要のない存在同士というか。
その点男同士は楽だ。ごっついテーブルでも間においておやじから説教の一つもたれさせればいい。
だが、彼女達の間にはその単純さがない。
もしかしたら当人達には、お互いを繋ぐためのモノは本当に必要ないのかも知れない。
でも、私は、それを提案ができる自分を夢みている。
何年か前、「家族の椅子展」というのが某所であった。
私はすぐにこの「母と娘のテーマ」を出展した。
細身の軽作業テーブルを挟んで、同じ目線の高さで幼き少女と若いお母さんを座らせる椅子2脚。
母の趣味仕事に手を出したがる少女。そこで交わされる何だか秘密っぽいお話。
そんな情景を盛り込みたかった。
たくさんのお客さんが来られたが、果たしてその情景をどれだけの方達に想像させることが出来たんだろう?
私は今、次の母と娘の情景を探している。
先日、高校生になる娘がボソッと言った。
「最近、お母さんと何気ない話している時間が、なんかすごくいいんだよね。」そして微笑んだ。
この辺に何かあるかもしれない。
(2002年7月)
写真/伝言の椅子&伝言キッズ