秘技 “砥石釣り”2013年10月15日

秘技 “鉋釣り”


鉋の命は 台の直しと刃の研ぎ

特に 刃は ピシッと研がねばなりません

丸ッ刃は いけません

刃先が ピシッと研ぎ上がると

その時点で 刃は ピタッと 砥石に くっつきます

そして そのピタッの力は 重い砥石をも釣り上げます

まさにこれが 秘技 “砥石釣り”

額縁の組み方2013年06月19日

額縁の組み方


額縁を組むときに いつも思うことですが…

ネット上を眺めてみると 組むための方法が 数多載ってます

しかし この写真の方法は ほとんど見かけない why?

たぶん昔からある方法だし 技術的にも 経済的にも ベスト

コーナーの 45°の角度さえ 決まっていれば

あとは 梱包用のPPバンド(使い古しOK または 伸び難いヒモ)と

木っ端が8個だけ クランプはなくても大丈夫

各コーナーを 均等に かつ 最も強力に 圧着できる方法です


ロクな道具もない時代に 先人達が 苦心して考え出した方法が

今 立派な道具に進化して生き残っているものが 数多くあると思いますが

必ずしも そのすべてが そうではないようです

オリジナルの方法に 無駄をくっつけただけのものも あるいは

オリジナルを越えられない 無駄な方法や道具も あるということ…

不調2013年01月23日

不調


エンジンチェーンソーの キャブと そのパーツ…ダイヤフラム

今日一日 こいつの不調に泣かされた

自分の仕事の成果が 

こんなごく小さな部品一つ一つに 託されてるのかと思うと……複雑

日本式と西洋式2012年12月08日

日本式と西洋式
  日本式(写真上)と西洋式(写真下)



日本式と西洋式 ともに木を削る鉋ですが

ひとつ大きな違いがあります

日本式は 向うから 手前に「引いて」使う

西様式は 手前から 向うに「押して」使う

鉋の種類や大きさにかかわらず それが それぞれの基本です



そこで この2つの基本の意味を ちょっと考えてみました

まず日本式 

鉋を構えてから 引き終える間の目線の中心は 引いた跡にあります

つまり 削り具合を確かめる目線です …きれいに仕上ったかどうか

次に西洋式

鉋を構えてから 押し終える間の目線の中心は 削る前の面にあります

つまり 先を見ながら 削る調子を変える目線です


職人は 無意識にやっていることですが

ともに 鉋を構えたときの 腕の位置からして 

この2つの「目線」を考えることができます 

同じように 板を削る という行為の中に これだけの違いがあるわけです



ところで 

「後を丸く納めて 平安を願う」

「先を読んで がむしゃらに事を推し進める」

これ そのまま 日本人と欧米人の違いに通じているような…

回転スツール2012年10月28日

回転スツール


これ 回転スツール って言っても そうは見えないかも 

でもホント 

回転金具がもうひとつだったんで 試作止まりでしたが 

もう10年以上は経過してるから 

そろそろ良さげな金具が開発されてるかも 

出てたら 復活させようと思います

バイオリン鉋2012年08月05日



バイオリン鉋…

ヨーロッパのバイオリン職人が使っていた鉋のようです

小さなものでわずか3センチほど

面の凹面を削ります

小さくてかわいいですが 玩具じゃありません

非常に使えるtoolで 細かな削り作業では とても重宝します

それに この真鍮製の美しい姿

私にとっては まさに「用に美」を備えた逸品です

固定2012年05月23日

固定


モノを手加工するとき

その材料をいかにうまく固定するかということは とても重要なことです

良い仕上がりは しっかりした固定から生まれるのです

………いい仕事がしたいなァ …だれかオイラを固定して!

道具4_手鋸は難し2012年03月17日

手鋸の身を曲げる

 なんだこの野郎フニャフニャしやがって!!  と怒ってはいけない。 真っすぐ挽けないのは貴方のせい、というか、相当訓練していなければ真っすぐ挽けなくて当たり前。実は、木工の手工具の中で「鋸」が一番難しい。

 普通、木工機械や電動工具・手工具を問わず、真っすぐ切ったり、平らに削ったりすることを容易にするための仕掛けがついている。それがいわゆる「定盤」だが、その形はさまざま。たとえば電動工具の丸鋸は、真っ平らな定盤の真ん中から回転する丸い刃が出ていて切り口が直角、あるいは、任意の角度で切れるようになっている。さらにその定盤の両側も刃と平行になっているので、そこに真っすぐな定規を沿わせれば難なく材料を真っすぐにカットできる。
 カンナだってそうだ。2つの定盤の間から刃が出ていて、その定盤を材料に押し付けて移動させることで平らな面を削ることができる。2つの定盤のレベルをわずかにずらすことによって削る厚みだって調整することができる。
 その他、手工具のノミだって… 一見、刃と握りだけの道具のように見えるが、実は刃の裏が真っ平らな定盤になっている。

 という具合で、刃のついたほとんどの工具の刃の周りには、真っ平らな面や真っ直ぐな直線があり、そこがその工具の定盤だと思えばほぼ間違いない。そして、この定盤を意識しながら道具を使うことによってより正確な加工が可能となる。昨今、誰でも長い修業をしなくても木工や家具職人ぽっくなれるのは、とくに電動工具についているこの定盤の進化のおかげである。

 一方、手工具の鋸となるとちょっと勝手が違ってくる。定盤がないというわけではないのだ。というより、鋸の身(薄い胴体全体)自体が定盤なのである。厄介なのはこの定盤がフニャフニャしてるということである。そして、使い手は、このフニャフニャを制御して真っ直ぐな定盤にする術を身に付けていなければならないということ。鋸が難しいのはこのためである。それじゃ、もっと厚くして固くすれば…なんて言わないで。手鋸の身はあの薄さだから堅い木が切れる。厚くちゃとてもとても…。 また、確かに鋸身の背に真っ直ぐで固い金具を付けたものもある。でも、それだと、深さが決まってしまう。固くすれば、何かしら支障が出たり、用途が決まってしまうのだ。

 ところで、お前はどうなんだって聞かれたら…正直逃げ出したい… 一応、弁解を聞いてくれますか? …だってェ、電動丸鋸や昇降盤で事が足りちゃって、手鋸使う機会なんてほとんど無いんだもの…上達しろって言う方が無理っすよ。



写真/手鋸の身を曲げる

道具3_ハタガネ讃歌2012年03月13日

ハタガネでサイドテーブルを組む

さて、この道具を何と説明しようか?

地味で…
使うところが限られていて…
乱暴に扱われて…
いつもどっかしら錆びていて…

…ああ…だめだ…なんだか気が重くなってきた


 でも、私はこの道具が好きだ。カッコがいいとか、使い勝手がいいとか、そんな次元のことではなくて、なんか存在そのものが好きというか、「ハタガネ」という名前にも惹かれる。
 そもそも、この道具をなんで「ハタガネ」というんだろう。 英語風にいうとクランプということになると思うが、私にはこのハタガネという響きがたまらない。
 
 それにしても、つくづく地味な道具だと思う。鋭く切断するような刃も持たず、華麗に溝を切るビットがあるわけでもない。ただただ締めるのみ。複数の部材を締めて圧着させる、それだけである。具体的にいうと、板をはぐ(幅の狭い板を張り合わせて広い板をつくる)、箱物やイスを組み上げるときに要所を締めて圧着させる、など。どちらかというと、部材をギュウギュウと拘束し、一見、いじめているようにも見える。例えば、チェストを組み上げたとき最終的なチェストの形は見えてくるわけだが、その周りを何本ものハタガネが、寄ってたかって締め上げている…初めて見る人はあまり良い印象をもたないかもしれない。
 でも違う、彼らは悪者じゃない。
 彼らは、たとえば、美しい蝶が生まれる前のサナギの殻に似ている。しっかりとした家具を作り上げるための殻。彼らは何もしゃべらず、その仕事を黙々とこなす。カンナの刃なら、切れなくなると「研げ!研げ!」と騒いで仕事をしなくなる。鋸の刃なら、へそを曲げて使い手の意図とは別の方向に行こうとする。でも、ハタガネの彼らは、ただ黙々と仕事をするのみ。そして、家具を家具たる形に仕上げてくれる。
 
 と、ハタガネ讃歌はそれくらいにして……このハタガネ、実際に使ってるときは水浸しになることが多い。締めた部材同士の接合部分から木工ボンドがはみ出すので水バケで洗うのである。そのために濡れて錆びるわけだが、冬になって仕事が暇なときなどは、暖かい薪ストーブの前で、そのサビ落としをする。今、うちの工房には60本程あるので結構一日がかりの仕事になるが、その間、過去一年間の仕事を振り返ったりするよい時間となる。そして、錆でザラザラになっていたハタガネの肌がツルツルになると、何とも言えない満足感を覚える。と同時に、この道具、大切な自分の味方という気持ちがさらに強くなる。ありがとう、ハタガネたち!


写真/ハタガネでサイドテーブルを組む

道具2_尺のものさし2012年03月04日

尺付コンベックス&さしがね


  一間二間と腕尺とりとり貴女の御部屋に近づきぬ
  一尺二尺と手尺とりとり貴女の御床に近づきぬ
  一寸二寸と指尺とりとり貴女の御御御・・・に近づきぬ


 バカはさて置き、一般的には日ごろあまり縁のない尺貫法だが、これが結構興味深い。どうも人っぽいのだ。
 私も尺貫法御法度世代なのでもともとほとんど縁のないものだったが、アルバイトにでた建築現場ではじめてこれに触れた。もちろん、触れるというのは、実際に尺表示されたさしがねやコンベックスを道具として使うということなのだが、最初心配したわりにはスムーズに慣れることができた。それまで昔気質な偏屈な爺さんといったイメージしかなかったが、実際はかなり違った。

 どうも尺の寸法というのは、人の感性を基準にできているような気がする。インチもそうじゃないかと思う。1寸にしても1インチにしても似たり寄ったりの「間隔」だが、数字よりもこの「間隔」が重要で、これが人の脳に刻まれやすい適当な「間隔」なんだと思う。
 初めて大工さんの現場に立ったとき、先ず最初に寸法取りに戸惑った。慣れてるはずのメートル法ではその数字の細かさとそれの膨大さにじきに頭が痛くなったのだ。これでは計ったばかりの寸法数字が覚えられない。だから、強制されたわけではないが尺の寸法取りに切り替えた。尺は、容易に私を受け入れてくれた。それ以降、見た目になんぼ、感覚的になんぼ、が先にあって実際の計測数字もすんなりと頭に入るようになった。間・尺・寸の響きも数字を読み上げるときに適度なリズム感をあたえてくれて脳みそを刺激した。今では、日常生活でも感覚的に長さを判断するとき、やっぱり尺使いになる。たぶん、その方が楽なんだと思う。
 とは言っても、今でも正職の家具作りをやってるときはメートル法にお世話になっている。これは、早い話が私流の家具作りには「尺」は大雑把過ぎで、大工仕事に「メートル」では目盛りが細か過ぎということにつきる。日常生活においてはメートル定規への慣れが強く、「実測的メートル使い、感覚的尺使い」といった具合で共存させている。もっとも、どうも数字には弱くてお互いを数的に換算するというときにはいつも頭を抱えているが・・・。

 ところで話は変わるが、私が大工さんのアルバイトをしてるころ、もうとっくに引退してても不思議でないような老大工さんと同じ現場になったことがある。なんだかヨボヨボしてて危なっかしいように思えたが実はそうではなかった。こういう職人を年季の塊といっていいんだと思う。さすがに高いところに登るときはしんどそうだったが、仕事の動作にほとんど無駄がなく、一見ゆっくりしてそうに見えても、実は確実に臨機応変に、そして、早く仕事をこなしていた。そんな中で特に目を引いたのは、その大工さんが寸法をとっているときに「いっぷくの時間だよ」と声がかかったときだった。「おいよ」すぐに仕事をやめてお茶の席についてみんなとバカ話を始めたが、その大工さんの指の爪先はさしがねの一ヶ所を確実に押さたままだった。20分ほどの一服が終わるとすぐに持ち場にもどり、さしがねの爪先で押さえたところで柱に墨をした。要するに彼は寸法を数字ではなく、身体で刻んでいたのである。なんだか寸法の原点を見たような気がして感激した。老大工さんに大敬礼!


写真/尺の差し金と尺付コンベックス