雑々1_すき間2012年03月05日

すき間の向こうは別の世界なんだってご存知か?
そーっと覗いて見てごらん
父も母も女房もすき間の向こうじゃみんな別の人
するとすき間の向こうの自分はどんなだろう?
ちょっと覗いて見ませんか
すき間の向こうのあなたの自分を・・・


 私がまだ子供の頃、毎日遊ぶことだけが楽しくて楽しくてしょうがない頃の話。鬼ごっこや隠れんぼが毎日の日課で、ほとんど一日中動きっぱなしだったような気がします。今のように大人が頭絞って子供に遊びを提供してくれたりしない時代だったけど、僕らは全然不自由してなかった。
 ま、それはいいとして、とにかくじっとしていない毎日だったわけですが、たまに息を潜めてジーッとすることがありました。それは隠れんぼ。納戸の中なんか最高の隠れ場でした。なまじ薄暗かったりするもんだから、ほんとに自分は隠れてるんだって気になってますます息を潜めてしまいました。

 さて、そんなとき私はあることに気がつきました。ガタガタ戸のすき間や戸板・壁板の割れ目から差し込む外の光に誘われて、そのわずかのすき間に目を寄せる。明るい光が一気に目に入り眩しい。すき間の向こうの外の世界がいつもより白く見えました。そんな光景の中に母が現れて、なんかすごく嬉しくなった次の瞬間、子供の私ははっとしました。違う、いつものお母さんの顔じゃない。お母さんなのに、いつも私の傍にいる優しい母の顔じゃないわけです。今思うとあれは日々の生活に追われる大人の顔だったのかもしれません。眉間にわずかにしわを寄せてたような気がします。少し怖かった。ほかに父や友達や隣のおばさんの顔なども見ました。皆いつもと違うように見えました。すき間の向こうじゃ、自分の知らない顔ばかり・・・。
 いい大人になった今でも、そのときのようにすき間の向こうを見てみたいという衝動を覚えるときがあります。怖いもの見たさ。 特に何かのおりにフッと自分自身をすき間越しに見てみたいと思う瞬間があるんです。知らない顔した自分はどんなだろう?

 ところで、私の家具屋としてのテーマの中に、この「すき間」がたまに頭をもたげます。それをどう形にしていいのかはわからないんですが、これが私をジーッと見てるわけです。小物インテリアなんかにはこれをテーマとしてすでに使ったりしていますが、家具となると、さて・・・? いっそのこと「家具屋なんだから“すき間家具”だ!」と割り切っちゃいましょうか。

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