道具2_尺のものさし2012年03月04日

尺付コンベックス&さしがね


  一間二間と腕尺とりとり貴女の御部屋に近づきぬ
  一尺二尺と手尺とりとり貴女の御床に近づきぬ
  一寸二寸と指尺とりとり貴女の御御御・・・に近づきぬ


 バカはさて置き、一般的には日ごろあまり縁のない尺貫法だが、これが結構興味深い。どうも人っぽいのだ。
 私も尺貫法御法度世代なのでもともとほとんど縁のないものだったが、アルバイトにでた建築現場ではじめてこれに触れた。もちろん、触れるというのは、実際に尺表示されたさしがねやコンベックスを道具として使うということなのだが、最初心配したわりにはスムーズに慣れることができた。それまで昔気質な偏屈な爺さんといったイメージしかなかったが、実際はかなり違った。

 どうも尺の寸法というのは、人の感性を基準にできているような気がする。インチもそうじゃないかと思う。1寸にしても1インチにしても似たり寄ったりの「間隔」だが、数字よりもこの「間隔」が重要で、これが人の脳に刻まれやすい適当な「間隔」なんだと思う。
 初めて大工さんの現場に立ったとき、先ず最初に寸法取りに戸惑った。慣れてるはずのメートル法ではその数字の細かさとそれの膨大さにじきに頭が痛くなったのだ。これでは計ったばかりの寸法数字が覚えられない。だから、強制されたわけではないが尺の寸法取りに切り替えた。尺は、容易に私を受け入れてくれた。それ以降、見た目になんぼ、感覚的になんぼ、が先にあって実際の計測数字もすんなりと頭に入るようになった。間・尺・寸の響きも数字を読み上げるときに適度なリズム感をあたえてくれて脳みそを刺激した。今では、日常生活でも感覚的に長さを判断するとき、やっぱり尺使いになる。たぶん、その方が楽なんだと思う。
 とは言っても、今でも正職の家具作りをやってるときはメートル法にお世話になっている。これは、早い話が私流の家具作りには「尺」は大雑把過ぎで、大工仕事に「メートル」では目盛りが細か過ぎということにつきる。日常生活においてはメートル定規への慣れが強く、「実測的メートル使い、感覚的尺使い」といった具合で共存させている。もっとも、どうも数字には弱くてお互いを数的に換算するというときにはいつも頭を抱えているが・・・。

 ところで話は変わるが、私が大工さんのアルバイトをしてるころ、もうとっくに引退してても不思議でないような老大工さんと同じ現場になったことがある。なんだかヨボヨボしてて危なっかしいように思えたが実はそうではなかった。こういう職人を年季の塊といっていいんだと思う。さすがに高いところに登るときはしんどそうだったが、仕事の動作にほとんど無駄がなく、一見ゆっくりしてそうに見えても、実は確実に臨機応変に、そして、早く仕事をこなしていた。そんな中で特に目を引いたのは、その大工さんが寸法をとっているときに「いっぷくの時間だよ」と声がかかったときだった。「おいよ」すぐに仕事をやめてお茶の席についてみんなとバカ話を始めたが、その大工さんの指の爪先はさしがねの一ヶ所を確実に押さたままだった。20分ほどの一服が終わるとすぐに持ち場にもどり、さしがねの爪先で押さえたところで柱に墨をした。要するに彼は寸法を数字ではなく、身体で刻んでいたのである。なんだか寸法の原点を見たような気がして感激した。老大工さんに大敬礼!


写真/尺の差し金と尺付コンベックス

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